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上泉秀綱 (主水佐) : ミニ英和和英辞書
上泉秀綱 (主水佐)[かみいずみ ひでつな]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [じょう]
 (n,pref,suf) 1. first volume 2. superior quality 3. governmental 4. imperial 5. top 6. best 7. high class 8. going up 9. presenting 10. showing 1 1. aboard a ship or vehicle 12. from the standpoint of 13. as a matter of (fact) 13. superior
: [ぬし, おも]
 【名詞】 1. owner 2. master 3. lover 4. god 
: [さ]
 【名詞】 1. help 

上泉秀綱 (主水佐) : ウィキペディア日本語版
上泉秀綱 (主水佐)[かみいずみ ひでつな]
上泉 秀綱(かみいずみ ひでつな、天正11年(1583年) - 慶長20年2月14日1615年3月13日))は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将米沢藩士。父は上泉泰綱、母は北条氏忠の娘。通称は主水佐、源五郎。
== 人物 ==
上泉泰綱の嫡男として北条氏小田原城下で誕生する。名は曽祖父・秀綱にあやかってつけられたと言われている。天正18年(1590年小田原征伐によって北条氏が没落すると父と共に小田原を後にし、上野国館林信濃国井上を転々とする。
慶長2年(1597年上杉景勝の元に入り、慶長3年(1598年)上杉家臣・安江繁家の娘を妻に迎えた。慶長5年(1600年慶長出羽合戦で父が戦死すると家督を継ぎ、また父の功によって1500石を与えられて直江兼続の麾下に置かれた。しかし慶長6年(1601年)上杉家が米沢30万石に減封されるにあたって、秀綱の禄高も500石に減らされた。
慶長12年(1607年江戸城普請を命じられた上杉家の中奉行として工事を指揮。慶長19年(1614年大坂冬の陣では鉄砲隊を率いて、鴫野の戦いで豊臣軍を破るが、その戦闘で秀綱自身も重傷を負う。景勝の主命によって京都で傷の療養をするも、翌慶長20年(1615年)京都で没した。
秀綱には男子が無かったため、秀綱の死後にその長女が志駄義秀の三男・源五郎を婿養子としている。なお次女は安江監物に嫁いでいる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「上泉秀綱 (主水佐)」の詳細全文を読む




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